【第228回】
2026.03.04
現役時代、私たちはどれくらい家で過ごしているでしょうか。
例えば、片道1時間の通勤、週5日勤務、9時~18時の仕事をしていると、平日は通勤2時間+勤務9時間=11時間が家の外での活動になります。週単位で見ると、家の外で過ごす時間は55時間、家の中は113時間です。
ところが、リタイア後はどうでしょうか。仕事も通勤もなくなり、(趣味やボランティア活動などへの時間を除くと)基本的には「168時間すべてが住まい時間」に切り替わります。これはシニア期の大きな特徴です。
住まいで過ごす時間が劇的に増えると、家に求めるものも変わってきます。現役時代の住まい選びにおける動機としては、「結婚」や「子どもの誕生・成長」が上位に並んでいます。広いリビングが欲しい、子どもに独立した部屋を与えたい、家族がくつろいで集える空間があれば――そんな夢を叶えるために家を買った方も多いのではないでしょうか。
しかし、シニア期になると一般的に子どもの独立などで、世帯人数は減少傾向に転じます。日常生活は居室が中心となり、部屋数の多い家は掃除や維持管理面で負担になることもあります。そこで浮かんでくるのが、「今の家は終の棲家としてふさわしいのか?」という問いです。
人生100年時代の住まいを考えるうえで欠かせない視点の1つが「健康寿命」です。
健康寿命とは、健康的に自立して生活できる年齢の上限ということですが、厚生労働省公表の日本の健康寿命(2022年)は男性72.6歳、女性75.5歳と世界でトップクラスの長寿です。一方で、平均寿命は男性81.1歳、女性87.1歳であることから、男女ともライフタイムは80歳台まで伸びてきているものの、その終盤の10年前後は、健康面や意思判断面で周囲の支援を受けつつ生活している、ともいえます。
こういった状況を踏まえますと、住まいに求めるポイントも現役時代とは変化が生じてきます。

【図表1】は、シニア期において住まいを考えるポイントの例ですが、「自立度が低下した場合」や「介護が必要になった場合」は、健康寿命とリンクしています。「住居の維持管理」「同居家族の有無」はシニア世帯の経済面や安全面への不安などへの向き合い方です。「人生の最後をどこで迎えたいか」は各人の主観によりますが、人生の最終盤におけるQOL(生活の質)の問題としてはとても重要です。
2021年の内閣府調査(【図表2】)によると、60歳以上の男女に「身体機能が低下したとき、どこで暮らしたいか」を尋ねたところ、どの年代においても半数以上が『自宅に留まりたい(現在のまま・改築の上を合算)』と回答しています。特に70~74歳では62.4%に達しています。

一方、「子どもの家に引っ越したい」は少数派。日本が核家族社会であることを示しています。
「高齢者用住宅へ住み替えたい」は60代前半で17.4%ありますが、80歳以上では5%未満に減少しています。逆に「老人ホームに入居したい」は年齢が上がるほど増加し、80歳以上では約20%となっています。看取りまで対応できる介護型老人ホームの利用が広がってきたことも背景として考えられます。
興味深いのは、年齢が上がるほど『現状のまま自宅に留まりたい』が増えることです。60代前半では31.8%ですが、80歳以上では43.8%になっています。
これは、身体機能への自信がなくなってくることに加え、家屋の構造やものの配置・収納など、すでに頭に入っている「現在の記憶」を活用しつづけたい、なので、自宅に変化を加えずに日常生活を続けたい、という心理も影響しているのではないかと思われます。
シニア期の住まいには、改築、子どもの家への転居、高齢者向け住宅への住み替え、老人ホームへの入居など、選択肢が広がっています。
しかし、ここで忘れてはいけないのが、加齢との競争です。年齢を重ねると、身体機能だけでなく認知力や判断力も少しずつ低下します。住まいを変えるというイベントは、生活情報を一度リセットし、新しい環境に適応することを強います。合理的だと思っても、「適応できるだろうか」という不安が行動を鈍らせる可能性も否定できません。だからこそ、50~60代のうちに準備を始めることが大切になってきています。将来の自分を想定し、必要な情報を集め、「決断・実行」はしないまでも、「こういう状態になったらこうする」という「自分なりの選択肢」を持っておくことが、シニア期の住まい選びではとりわけ重要と考えています。
【図表3】は、シニア期における住まいの検討をまとめたものです。このように点検を進めてみますと、「シニア期の住まいの選択」は、合理的な判断ができ、環境を変化させることに心理的な拒否反応が少ないであろう50-60歳代に将来の自身の状態を想定しつつ、検討に必要な情報を摂取し、自分自身にとって“良い”と思える住まいの選択肢を持ち、その上で判断が行えるようにセットアップしておくことが重要になってきたといえます。

「自分にとっての良い住まい」を選び整えていくためには、判断材料となる情報が欠かせません。例えば、住生活に関する法律や住宅政策はどう進んでいるのか、自分が住もうと思っているエリアの自治体ではどんな取り組みをしているのか、また、住まいと金融サービスの役割やライフプランやマネープランにおける住まいの活用法についても確認しておきたいものです。
これは情報を利用する側だけではなく、情報を提供する側である金融機関や住宅業界の従事者にとっても重要です。生活者が求める情報を整理し、わかりやすく提供する役割が求められる時代が到来しています。
リタイア後、住まいで過ごす時間は劇的に増えてきます。だからこそ、住まいは「人生の質」を左右する大きな要素といえます。「今の家でいいのかしら?」「将来、どこで暮らしたいのか?」―この問いに対して、早めに情報を集め、選択肢を持ち、納得できる判断を準備しておく――人生100年時代を安心して生きるための取り組みの1つだといえましょう。
コラム執筆者
丸岡 知夫(まるおか ともお)
三井住友トラスト・資産のミライ研究所 所長
1990年に三井住友信託銀行に入社。確定拠出年金業務部にてDC投資教育、継続教育のコンテンツ作成、セミナー運営に従事。2019年より現職。主な著作として、『安心ミライへの「資産形成」ガイドブックQ&A』(金融財政事情研究会、2020)、『安心ミライへの「金融教育」ガイドブックQ&A』(金融財政事情研究会、2023)、『「金利がある世界」の住まい、ローン、そして資産形成』(金融財政事情研究会、2024)がある。
